はじめに

 統合失調症(Schizophrenia)や自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder; ASD)などの精神疾患は有病率が高く、根本的な治療法がなく、多くの患者さんがその症状と社会不適応に悩んでいます。これらの疾患の背景には神経回路の発生・発達の異常が存在し、遺伝的要因と環境要因との複合的な組み合わせによってもたらされます。私たちの研究室では、精神疾患の病態を分子のミクロなレベルから脳の形態形成のマクロレベルまで明らかにし、治療法や予防法へと繋げることを目指しています。

シナプス機能を支える細胞内輸送機構の研究

 中枢神経シナプスに発現する神経伝達物質受容体には、興奮性神経伝達に関わるNMDA受容体やAMPA受容体、抑制性神経伝達に関わるGABA受容体など多数が知られています(図1)。これらの受容体は、神経伝達の調節・神経可塑性の発現など、重要な神経機能を担っています。

これらの受容体は細胞体などで生合成された後、特異的輸送システムによって樹状突起を経てシナプス領域へ運ばれ、集積します。その輸送システムは、

  1. 樹状突起内部の微小管依存性輸送(キネシン関連蛋白による)
  2. 微小管からアクチン線維への乗り換え
  3. アクチン線維依存性輸送(ミオシン関連蛋白による)

の3段階からなります(図2)。このような受容体輸送は、いつも一定のレートで一定の荷物を運んでいるわけではなく、神経細胞の活動の変化や外界の刺激により、ダイナミックに変化します。輸送の制御がどのような分子メカニズムにより行われるのか、また動物のどのような脳機能を支えているのかを解明することを目標にしています。

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図1.初代培養神経細胞の樹状突起をレーザー共焦点顕微鏡で撮影した像。樹状突起(MAP2 = 赤)の周りにNMDA受容体(緑)が局在していることを示している。

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図2.神経細胞における細胞内輸送システム(図をクリックすると拡大します)

精神疾患モデル動物の開発

統合失調症や自閉症等の精神神経疾患には、根本的な治療法がありません。そのため、病気である本人だけではなく、家族など周囲の人々も長期にわたり苦しまねばなりません。これらの疾患の原因のひとつに、シナプスの機能異常があることが少しづつわかってきていますが、詳しいことはまだ不明なままです。当研究室では、精神神経疾患の原因解明、診断法・治療法の開発の手がかりを掴むことを目標に、以下のふたつのアプローチで上記疾患の動物モデルを開発しています。これらの研究は、革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト (Brain/MINDS)の一貫として行われています。

(1) 細胞内輸送異常モデル

細胞内輸送は、正常なシナプス機能を支えるだけではありません。シナプスの機能異常が統合失調症などの精神神経疾患の原因となっており、その背景に細胞内輸送の故障が存在する例がいくつもみつかってきています。当研究室は、こうした脳の病気の分子メカニズムに注目し、マウス分子遺伝学を利用して精神神経疾患モデル動物を作成しています。

(2) 母体感染モデル

妊婦がインフルエンザなどのウィルスに感染すると、出生した子供の精神疾患発症リスクが高まることが多くの調査から明らかになっています。これは、母体免疫反応の活性化(maternal immune activation; MIA)が胎児の脳の発達や機能に影響し、出生後も長期にわたって影響を与えることを示唆しています。この知見をもとに、妊娠動物に特殊な免疫反応を引き起こす薬物を投与し、精神神経疾患モデル動物作出を行っています。モデル動物の解析によって、免疫反応の異常から神経機能の破綻にいたる分子病理メカニズムを解明し、治療法や予防法を開発につなげることを目標に研究をしています。

図3.母体免疫活性化によるセロトニン神経系発達異常の模式図 1)母体にウィルスが感染する。またはウィルスを模した物質を注射する。2)母体の免疫システムの活性化が起こる。3)免疫活性化により胎仔脳のセロトニン神経系発生異常が生じる。4)胎仔期のセロトニン神経系の発生異常により生後の神経系発達異常をきたす。

Fetus concept in 3D

ASD関連遺伝子Myosin Idの解析

 自閉スペクトラム症は社会的コミュニケーション障害および常同行動で特徴づけられる障害です。アメリカCDCのレポートでは有病率は1%以上と推定されており対策が急務です。近年,脳におけるシナプス異常がASDの病態に関与しているという証拠が蓄積されています。ASDリスク遺伝子の多くがシナプス関連分子であることがわかってきています。Stone et al.(2007)の遺伝子連鎖解析研究により,ミオシンIdがASDリスク遺伝子の候補に挙げられています。ミオシン(Myosin)とは細胞骨格アクチンフィラメントと結合するモータータンパク質です。ミオシンIdは神経での発現が確認されているにも関わらず,これまでニューロンでの局在や機能は明らかになっていませんでした。当研究室ではミオシンIdの神経細胞における局在を調べ,ミオシンIdのASD病態発生への関与の可能性を検討しています。これまでの研究の結果、神経細胞においてミオシンIdはアクチンと共局在し,神経突起及びスパインに集積することが明らかになっています。様々なアクチン結合タンパクがシナプス可塑性の基盤であるスパイン形態形成に寄与している(Hotulainen & Hoogenraad, 2010)ことから、ミオシンIdがスパインの形態形成やシナプス伝達に関与している可能性があるのではないかと考えられます。

図3.ミオシンスーパーファミリー. ミオシンはアクチン上を運動するモータータンパクである。ミオシンはATPase活性を持ちATPを加水分解しながら、-端から+端に向かってアクチンフィラメント上を移動する。

図4.ミオシンIdの解析. A. 8週齢マウス脳各部位におけるミオシンId mRNAの発現. B. 生後発達期のミオシンIdの発現変化. C. 培養海馬神経細胞におけるミオシンIdの局在解析. ミオシン Idは樹状突起スパインに集積している.

妊娠期Interleukin過剰による流産率への影響

 母体免疫活性化を軸として新しい精神疾患モデル動物の確立を目指す中で、流産率に関する新しい表現型を見出しました。インターロイキン過剰発現マウスにおいて胎盤構造の脆弱性があり、さらに合成二本鎖RNA poly(I:C)の投与によって引き起こされる流産率を野生型と比較したところ、poly(I:C)投与によって引き起こされる流産率が野生型マウスに比べ顕著に高いことがわかりました。コントロールとしてPBSを投与した場合は、野生型マウスとインターロイキン過剰発現マウスの間に流産率の差は認めらていません。インターロイキン過剰発現が妊娠期マウスにおけるウイルス応答性を増強している可能性が示唆されています。

Psyche -こころ- という複合的生物現象を被験者実験で捉え、その生体機序をモデル動物実験で検証する研究

 この研究テーマでは「こころ」を生物現象として捉え、その発現機構の単純化メカニズムを被験者実験で推定し、それをもとに構築したモデル動物実験からその生物学的機序を解析する研究を進めています。そのため研究対象は情動反応を引き起こす自然現象や社会現象の把握から脳活動の生物学的解明にわたります。具体的には「安らぎ」や「萌え」などをキーワードに、感性の脳機能に効果がある感覚刺激の生体反応を解析します。ヒトを対象とした実験では前頭葉血流計測や自律神経反応計測などを、実験動物を対象とした実験では形態学、電気生理学、生化学、薬理学的解析を必要に応じて組み合わせて使います。そしてそれらの感覚刺激がいかにして「こころ」を構築しているのか、モノアミン作動性神経や興奮性・抑制性神経伝達などの調節に対する先天的本能に基づく反応と後天的経験に基づく反応との違いに着目して調べています。これらの研究で得られた知見が本専攻での分野横断的共同研究として社会に働きかけ、人々のQuality of Lifeの向上に寄与するものづくりに活用されることを目指しています。

Hands support the brain in the sun . Concept brainstorming idea.
感性認知脳科学専攻HPより
http://www.kansei.tsukuba.ac.jp/doctor/brain-science#tn