久野節二

久野 節二(Hisano Setsuji) 2011.09.13

久野節二筑波大学
所属: 大学院 人間総合科学研究科 感性認知脳科学専攻
システム脳科学分野(基礎医学系)
Systems Neuroscience, Doctoral Program in Kankei, Behavioral and Brain Sciences, Graduate School of Comprehensive Human Sciences, University of Tsukuba

教育担当:
①大学院専任 人間総合科学研究科 感性認知脳科学専攻(博士前期課程・後期課程) システム脳科学分野
②大学院兼担:フロンティア医科学専攻(修士課程)形態系 神経内分泌学
③医学群医学類:人体解剖学・脳解剖学
④医学群医療科学類:内分泌情報生理学
⑤生物環境学担当:人間生物学コース

学会活動
日本感性工学会(理事、感性脳機能部会代表、学会誌編集委員)、日本解剖学会(学術評議員)

●日本感性工学会英文誌において、ゲストエディターとして「感性脳機能」に関連した特集号を編集予定です。この特集号に掲載するための投稿論文を募集中です。
● 日本感性工学会において「感性脳機能部会」を立ち上げ、感性と脳科学の融合研究を目指しています。 詳しくは こちら から
● 日本感性工学会第3回春季大会を感性脳機能部会が中心となって、2007年3月に筑波大学で開催しました。

プロフィール

生年:昭和24年
略 歴:
昭和47年 熊本大学理学部
昭和55年 北大大学院
昭和55年 徳島大学助手(医学部解剖学)
昭和60年 National Institutes of Health (NINDS, Lab of Neurochemistry)留学
平成10年 筑波大学教授 基礎医学系
平成13年 筑波大学教授 大学院人間総合科学研究科 感性認知脳科学専攻
平成17年 感性認知脳科学専攻 専攻長  現在に至る

研究内容紹介について抜本的改定を始めました。

研究紹介とやさしい解説

<まだ途中ですが、ストレスと脳機能に関する内容に全面的に改訂して行きます。>

ストレスと脳機能


ストレス

「脳とホルモン」についてのイントロダクション

シナプスでニューロンの情報は伝わる

脳では莫大な数のニューロン(成人の脳では約140億個とも言われる)が互いにこれらの突起のところでつながりあって複雑なネットワークを作り、一緒に働き合ってさまざまな情報処理を行っています。このニューロンの働きによって自我・言語・行動・思考・学習・意欲・感情・認知などの 実にさまざまな脳機能が発現されるわけですが、その詳しいメカニズムの解明がこれからの神経科学の重要な研究テーマの1つです。さて、突起のつなぎ目では、情報がニューロンからニューロンへ伝わりますが、そこにはシナプスと呼ばれる特殊な構造があり、神経情報の伝達が確実に行われる仕組みになっています。

 

情報の担い手は神経伝達物質

軸 索末端のシナプスから放出され、作用する生体物質を総称して神経伝達物質と呼 びます。神経伝達物質にはドーパミン・ノルアドレナリン・セロトニンなどの生体アミン、 グルタミン酸やGABAなどのアミノ酸 、そして ペプチドなど、化学的に異なるいくつかの物質に区分することができます。

神経伝達物質を放出する軸索の膨らみ(バリコシティ、varicosity)と樹状突起

神経伝達物質が軸索どこから放出されるかについて、最近の研究ではアミン作動性ニューロンやペプチド作動性ニューロンでは軸索末端のシナプス結合部が唯一の放出部位 ではなく、光学顕微鏡観察で軸索突起に多数見られる膨らみからも放出されると考えられるようになりました。また、下で述べる視床下部ペプチドホルモン分泌ニューロンや中脳黒質のドーパミンニューロンでは樹状突起からも放出(Dendritic release)ことが示されています。

ホルモンとは?

生体で細胞が生産した物質を細胞外へ放出する生命現象を分泌(Secretion)といいます。ホルモン(Hormone)も分泌される物質の1つで、ある特定の細胞だけが生産します。しかし細胞が生産する物質の中で、血液中へ放出され、そこから遠く離れた身体の別 の場所へ運ばれて特定の細胞に対してだけ作用し、その細胞での物質の代謝や合成などに影響する物質をホルモンと呼びます。ホルモンを放出する現象を内分泌(Endocrine)、遠く離れた場所 で働く作用を遠隔作用、ホルモンが影響を及ぼす特定の細胞を標的細胞(Target cell)と呼びます。このようにホルモンとはその働き方によって決まるわけですから、それには化学的に全く異なった数種類の物質が含まれることになります。したがって、実際にはペプチド(Peptide、例、下垂体ホルモン、膵島(ランゲルハンス島)ホルモン)、ステロイド(Steroid、性ホルモン、副腎皮質ホルモン)、生体アミン(Amine、副腎髄質のアドレナリンとノルアドレナリン)、アミノ酸誘導体(甲状腺のサイロキシン)など、実にさまざまな物資がホルモンとしての働きをすることが知られています。これらのホルモンを分泌する細胞を内分泌細胞(Endocrine cell)、そして内分泌細胞によて構成される器官を内分泌器官(Endocrine organ)と呼びます。

内分泌系のまとめ役としての脳

ニューロンが情報伝達に使う道具は神経伝達物質だけではありません。上で少しふれたように、実は一部のニューロンはホルモンを生産し、分泌しているのです。この特殊なニューロンを神経内分泌ニューロン(Neurosecretory neuron; Neuroendocrine neuron)と呼び、視床下部(Hypothalamus)という脳の底の部分(間脳、 Diencephalon)にだけ存在しています。このニューロンも軸索と樹状突起という2種類の突起をもっていますが、ほかのニューロンと少し違う特徴 があります。それは軸索末端がシナプスを作らずに、血管の近くに集まって血液中へホルモンを分泌しています。神経内分泌ニューロンの細胞体は視床下部の決 まった場所で細胞体の集合(神経核、Nucleus)を形成し、軸索を下垂体後葉(Posterior pituitary、別名、神経下垂体、Neurohypophysis)または正中隆起(Median emincne)に伸ばし、血管の近くで終末となって終わります。つまり、下垂体後葉や正中隆起は、神経内分泌ニューロンの軸索末端が集まった構造ということになります。視床下部ホルモンは上記のドーパミン以外は全てペプチドで、体内浸透圧・血圧などの調節と下垂体前葉(Anterior pituitary)によるホルモン分泌機能を調節し、 間接的に甲状腺、副腎および性腺(精巣と卵巣)などの末梢内分泌器官機能を統御しています。 こうしてみると脳は神経内分泌ニューロンによる内分泌機能をもち、「考える内分泌器官」ともいえます。特に、視床下部は神経系と内分泌系の働きを結びつけるインターフェースとして生命維持の中枢として機能します。

神経系の区分

神経系は外形、ニューロンの形状や分布および軸索の束の走行などの内部構造、さらに機能性に基づいていくつかの領域に区分される。まず、神経系は中枢神経系(Central nervous system, CNS)と末梢神経系(Peripheral nervous system, PNS)に大別され、中枢神経系は脳(Brain)と脊髄(Spinal cord)に分けられる。脳はさらに脊髄に近い方から、延髄(Medulla oblongata)、橋( キョウ、Pons)、小脳(Cerebellum)、中脳(Midbrain)、間脳(Diencephalon)、終脳(Telencephalon)に分けられる。例えば、視床下部は間脳に属し、大脳皮質(Cerebral cortex)や海馬(Hippocampus)は終脳に含まれる。

正中隆起と下垂体後葉

両方とも神経内分泌ニューロンの軸索末端が豊富な血管網にまとわりつくように集まって形成される構造であるが、機能性の違いは明確である。正中隆起から は下垂体前葉ホルモン(副腎皮質刺激ホルモン、ACTH;成長ホルモン、GH;プロラクチン、PRL;甲状腺刺激ホルモン、TSH;黄体形成ホルモン、 LH;卵胞刺激ホルモン、FSH)の分泌を制御するホルモン(それぞれ、CRF、ソマトスタチン、GHRH、ドーパミン、TRH、GnRH)が血管網(下 垂体門脈系)へ放出される。これらの起源ニューロンは主に室傍核と弓状核に存在する。下垂体後葉は古くからバソプレッシン(AVP)とオキシトシン (OXT)を体循環(全身をめぐる血液の流れ)へ分泌することが知られ、これらのニューロンの細胞体は室傍核と視索上核にだけ存在する。以上のように、神 経内分泌ニューロン系には軸索末端が正中隆起に終わるグループと下垂体後葉に終わるグループの機能的に異なった2つの神経内分泌システムが存在する。

視床下部から分泌されるホルモンの種類・生産部位 ・放出部位・主な作用
ホルモン名 生産部位 放出部位 主な作用(標的器官)
バソプレッシン(AVP) 室傍核大細胞 下垂体後葉 抗利尿作用(腎臓)、血圧上昇(血管)
オキシトシン(OXT) 室傍核大細胞 下垂体後葉 分娩(子宮平滑筋)、射乳(乳腺平滑筋)
副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH or CRF) 室傍核小細胞 正中隆起 副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)分泌(下垂体前葉)
甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン(TRH) 室傍核小細胞 正中隆起 甲状腺刺激ホルモン(TSH)分泌(下垂体前葉)
成長ホルモン分泌抑制ホルモン(ソマトスタチン、SS or SRIF) 前脳室周囲核 正中隆起 成長ホルモン(GH)分泌抑制(下垂体前葉)
成長ホルモン放出ホルモン(GHRH or GRF) 弓状核 正中隆起 成長ホルモン分泌(下垂体前葉)
プロラクチン分泌抑制ホルモン(ドーパミン、PIF) 弓状核 正中隆起 プロラクチン(PRL)分泌抑制(下垂体前葉)
性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH, LHRH, FSHRH) 弓状核(ヒト)
視索前野(ラット)
正中隆起 性腺刺激ホルモン(LH, FSH)分泌(下垂体前葉)

「脳の形」を研究する方法

研究に必要な2つの手法  〜免疫組織化学とin situ ハイブリダイゼーション〜

顕微鏡を使ってニューロンが作るホルモンのありかを脳の組織で観察するには、次の2つの方法がよく使われます。それは免疫組織化学(Immunohistochemistry)とin situ ハイブリダイゼーション(In situ hybridization)です。免疫組織化学は脳に発現するタンパク質やペプチドなどの検出に使われ、これらの分子を含むニューロンやグリアの脳内分布や細胞内局在の研究に有効です。免疫組織化学では抗体(Antibody)を使います。ある特定のホルモンとだけ(特異的に)反応する抗体(特異抗体、一次抗体)を作り、後で顕微鏡で観察ときに判別できるように目印を付けておきます。目印には、酵素(通 常、ペルオキシダーゼ)や蛍光物質が使われ、実際の染色方法にはたくさんの手法が開発・工夫されています。抗体を組織切片や細胞にかけると、もしそこにホルモンが存在すれば抗体はそれと反応(抗原抗体反応、Antigen-antibody reaction)しますので、目印がホルモンの存在を間接的に示す結果になります。これが免疫組織化学の原理で、電子顕微鏡観察のために行うのが電顕免疫組織化学(Immuno-electron microscopy)です。
in situ ハイブリダイゼーションは、相補的な塩基配列の核酸が互いに水素結合により2本鎖を形成するという特性を利用して、組織中のペプチドホルモンの前駆体タン パク質、生体アミン合成酵素、ホルモンや神経伝達物質受容体、神経伝達物質トランスポーター(後で詳しい説明をします)などのタンパク質のアミノ酸配列を コードするmRNAの細胞内発現を検出する方法です。
一般にペプチド作動性ニューロンではペプチドは細胞体で合成された後、速やか に軸索輸送され、そのほとんどが軸索末端に存在しています。顕微鏡を使ったペプチドの観察には免疫組織化学は適していますが、in situ ハイブリダイゼーションは役に立ちません。逆に、タンパク質によっては免疫組織化学に利用可能な抗体作成が困難な場合があり、このようなタンパク質を合成 するニューロンの観察にはin situ ハイブリダイゼーションが有効な手段となります。 もっとも、遺伝子発現があるからといって必ずしも、機能的なタンパク質が合成されているとう保証はありませんので、必要に応じて、タンパク質発現をウェス タンブロットなどの生化学的方法で検証する必要があります。

脳のどこにタンパク質・ペプチドは発現するのかを調べる

免疫組織化学(酵素抗体法)

視床下部から分泌されるホルモンの1つに前述の後葉ホルモンのバソプレッシン (Vasopressin, AVP)というペプチドがあります。左の写真は、免疫組織化学を使ってラット室傍核のバソプレッシンを染色した結果 です。目印にはペルオキシダーゼ(酵素抗体法、Immunoenzyme method)を用いてあり、バソプレッシン免疫陽性反応は茶色の反応で示されています。写 真左上から右下にかけて分布する多数の褐色の構造がバソプレッシンニューロンの細胞体に相当し、細長い棒状の構造は細胞から伸びだした樹状突起を示しています。

少し詳しい解説

室傍核(Paraventricular nucleus, PVN)とは

ニューロン01

室傍核には下垂体後葉から分泌されるホルモン(後葉ホルモン)のバソプレッシンとオキシトシンを生産するニューロン群と正中隆起から分泌されるCRF、 ソマトスタチン、TRH(下垂体前葉ホルモン分泌調節ホルモン)を生産するニューロン群の構造的・機能的に異なる2つのシステムが存在している。後葉ホル モン産生ニューロンと下垂体前葉調節ホルモン産生ニューロンの存在は 、室傍核内で異なっており、顕微鏡観察により区別できる。上の写真中のMagnoとParvoで示された部分が、それぞれ大細胞性領域および小細胞性領域 と呼ばれ、大細胞性領域には後葉ホルモン産生ニューロンが、小細胞性領域には調節ホルモン産生ニューロンが分布する。したがって、大細胞性ニューロンは下 垂体後葉へ、小細胞性ニューロンは正中隆起へ軸索を伸ばし、それぞれのホルモンを血中へ放出する。
室傍核の小細胞性ニューロンの一部(例えばCRFニューロン)は下位の脳(橋や延髄)と脊髄にも軸索を伸ばしており、神経内分泌機能とは別 の自律神経系の働きを調節する上位の神経機構として機能している。

同じ組織について2種類の生体分子の存在を比べる

免疫組織化学(2重蛍光抗体法)

ドーパミン分泌ニューロン右の写 真は視床下部のホルモンとしてドーパミンを分泌するニューロンを免疫染色し共焦点レーザー顕微鏡(Confocal laser microscope)で観察したものです。この標本ではドーパミン合成酵素のチロシン水酸化酵素(Tyrosine hydroxylase, TH)に対する特異抗体を使って蛍光免疫組織化学による染色を行っています。緑色と赤色の2色の蛍光物質を使って、同時に2つの物質の存在が分かるように工夫してあります(2重蛍光抗体法, Double immunofluorescence method)が、赤色に染まった構造(主なものを矢印で示す)がドーパミン分泌ニューロンの細胞体で、その中央に黒く抜けて見えるのはそれぞれのニュー ロンの核(ここでは細胞核)です。細かな緑色の点々はオリゴペプチドトランスポーターの存在を示しています。

電顕免疫組織化学(2重免疫染色)

この方法はシナプスを形成する2つのニューロンがそれぞれどのような神経伝達物質を含んでいるのかを調べるときに使います。左の写 真では室傍核のオキシトシン(Oxytocin, OXT)ニューロンに形成されたシナプスを観察したもので、オキシトシンとCRF(Corticotropin-releasing factor, 副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン)を同時に染色しています。オキシトシンニューロンは周囲の構造よりも少し暗めに見え、CRF軸索にはたくさんの黒い点 が、そして矢頭のところでシナプス肥厚が認められます。 この結果は「CRFニューロンはオキシトシンニューロンの機能を制御する」ということを示唆しています。 (Hisano et al., Brain Res 1992)

遺伝子を発現している細胞や組織を特定する

in situ ハイブリダイゼーション

ハイブリダイゼーション

いくつかのやり方が工夫されていますが、わたしたちの研究室ではmRNAに相補的な塩基配列からなるRNA(cRNA)にアイソトープ(放射性同位 元素、isotope)を付けて、ハイブリダイズし、オートラジヲグラフィーにより観察する方法とアイソトープの替わりにディゴキシゲニン(DIG) を標識物質としたcRNAでハイブリダイズする方法の両方を使っています。アイソトープ標識cRNA法は、遺伝子発現の程度を相対的に比較するための半定 量解析ができる優位点があります。一方、DIG標識cRNA法には、遺伝子を発現する細胞の組織学的な観察に優れています。私の研究室では、これらの方法 と免疫組織化学を組み合わせた手法も手がけています。

アイソトープで標識したcRNAを切片にかけ、細胞内のmRNAと結合させた切片をオートラジオグラフィー(Autoradiography) という写 真技術に似た方法で処理することで特定の遺伝子発現を顕微鏡で観察できます。下の写 真はラット視床下部下垂体後葉系ニューロンにおいてバソプレッシン遺伝子発現を検出したもので、白く光って見える部分が遺伝子発現を示す銀粒子の集合で す。in situ ハイブリダイゼーションによるシグナルの強さを、NIHイメージなどの画像解析ソフトにより数値化し、半定量解析することで、ある特定の生理条件下におけ る、特定領域における特定遺伝子の発現変動を評価することが可能です。

視床下部のホルモン分泌

DIG 標識cRNAでハイブリダイズする方法により、遺伝子発現を組織化学的に検出した結果が左の写真です。この方法では、DIG標識cRNAにより組織切片上 でmRNAと2重鎖を形成させた後、DIGの存在を免疫組織化学的に可視化します。つまり、抗DIG抗体を切片にかけ、酵素抗体法により顕微鏡で観察でき るようにします。最終的に陽性反応をアルカリフォスファターゼの酵素活性により紫色の反応物が特定の細胞に沈着することになります。上のアイソトープを 使った方法よりも、遺伝子を発現しているニューロンの形態がよく観察できるのが、この方法の特徴ですが、反応を定量評価することができない欠点もありま す。また、原因は不明な場合が多いのですが、しばしば反応の特異性に疑問を生じさせるような結果と成る場合があるため、私の研究室ではアイソトープ標識 cRNAを使って得られた結果と違いがないことを確かめることにしています。

今研究していること

小胞性グルタミン酸トランスポーターの発見とその経緯

脳で初めて発見されたニューロン特異的無機リン酸トランスポーター(BNPI)

私たちがラット脳においてNaPi-2の研究を行っていた1994年にアメリカのグループがラットの脳から脳特異的無機リン酸トランスポーター(Brain-specific Na-dependent inorganic phosphate cotransporter, BNPI)を単離しました。BNPIは小脳の顆粒細胞(Granule cell)に発現する568個のアミノ酸からなる分子量59 kDaのタンパク質をコードする遺伝子として発見されました。アフリカツメガエル卵母細胞を使った機能発現解析で無機リン酸輸送活性が示され、ラットやヒトの脳に関するin situ ハイブリダイゼーション解析から遺伝子発現が大脳皮質錐体細胞(Pyramidal cell)、海馬錐体細胞、歯状回顆粒細胞、小脳顆粒細胞に高いmRNAシグナルが認められました。これらの細胞は全てグルタミン酸作動性ニューロンであると考えられていましたので、BNPIがこれらのニューロンによる無機リン酸イオンの輸送に関係していると判断されました。

少し詳しい解説

グルタミン酸

グルタミン酸グルタミン酸は脳の最も広い範囲で、しかも最も多量に存在する神経伝達物質である。グルタミン酸はGABAと反対にニューロンを興奮させる脳内情報伝達 回路(ワイヤリング)の主役的神経シグナル分子である。興奮性アミノ酸には他にアスパラギン酸が知られている。このグルタミン酸作動性ニューロンが構成す る回路網の要所要所にGABAニューロンが点在し、抑制回路を作る。

2種類目の脳特異型無機リン酸トランスポーター(DNPI)

群 馬大学生体調節研究所の武田教授らのグループとの共同研究によって、脳特異的な無機リン酸輸送システムとして、もう1つ別 のトランスポーターが発見しました。ラット膵臓ランゲルハンス島由来の培養細胞がアクチビン刺激で神経様細胞に分化する過程で、この遺伝子発現が突き止め られ、クローニングされました。このタンパク質はアミノ酸582個(分子量 は64kDa)で、配列はBNPIと82%相同で、細胞の内外のナトリウムイオン濃度勾配に依存して(つまりこの濃度差を駆動力として)ナトリウムイオン と一緒に無機リン酸イオンをニューロン内へ輸送することが示されました。遺伝子発現が細胞分化に関連して発現することから (Differentiation-associated Na-dependent inorganic phosphate cotransporter、DNPI)と名付けまし た。右の写 真はラット脳におけるBNPIとDNPIの遺伝子発現をin situ ハイブリダイゼーション法により調べたものです(久野、腎と骨代謝、2002)。BNPIは大脳皮質・海馬・小脳で発現が高く、DNPIは視床に豊富に発 現しています。つまり、ほ乳類の脳においてBNPI遺伝子とDNPI遺伝子とは互いに異なる脳領域に棲み分けて発現しており、おおよそ相補的な発現分布を 示します.図中の CTXは大脳皮質、Hip,は海馬そしてThalが 視床を示しています。
専門語:DNPI

右下の写 真は視床下部でDNPI遺伝子発現を調べたものです。DNPI mRNAが室傍核と視索上核 を含めて、視床下部内の特定部位のニューロンに発現していることが分かります(Hisano et al., Mol Brain Res., 2000)。 Ch, 視交叉; f, 脳弓; LHA, 視床下部外側野; PVN, 室傍核; SON, 視索上核; 3rd V, 第?脳室 (星浩一氏撮影、大学院医科学研究科、H12修了 )

少し詳しい解説

視索上核(Supraoptic nucleus, SON)とは
視床下部底部で網膜からの視神経の軸索が交叉する視交叉の外側にある大型ニューロンの集まりで、神経内分泌ニューロンで構成される代表的な神経核である。 ここではバソプレッシンとオキシトシンの2種類の後葉ホルモンがそれぞれ別 の大型ニューロンで生産され、軸索中を下垂体後葉まで運ばれ、そこから体循環血へ放出される。
下中央の2枚は視床下核(Subthalamic nucleus)という腹側視床の神経核です。左は明視野、右は同じ切片の暗視野撮影の写 真です。ここは体運動調節に関係する領域として注目されている脳部位です。Rt, 視床網様核; CC 大脳脚 (星 浩一氏撮影、大学院医科学研究科、H12修)

シナプス小胞にグルタミン酸を運ぶトランスポーターとしてのBNPI

トランスポータートランスポーター

電顕免疫組織化学的観察によるとBNPIは軸索末端のシナプス小胞 に存在しているようです 。この結果は、ニューロンの外部から無機リン酸を取り込むとういうBNPIの働きとは矛盾するように思われます。なぜなら、細胞外無機リン酸を輸送するの であれば、BNPIは細胞膜に存在すると考えられるからです。このことは何を意味しているのでしょうか。
2000年にBNPIはグルタミン酸作動性シナプスにおいてシナプス小胞内へ細胞質中のグルタミン酸を輸送する小胞性トランスポーターであるという論文が発表されました。ラットBNPIcDNAを遺伝子導入したPC12細胞(PC12 cell, ラット副腎髄質腫瘍細胞由来の培養細胞)から集めたシナプス様小胞がグルタミン酸輸送活性を示すようになることが明らかにされました。この働きは、シナプス小胞膜あるという電顕観察の結果 と良く一致します 。
今では、BNPIはグルタミン酸作動性ニューロンの小胞性グルタミン酸輸送体(VGLUT1)として世界中のグルタミン酸の研究者が盛んに研究を行っています。そこで、以下の説明ではBNPIのことをVGLUT1と呼ぶことにします。
下の図はグルタミン酸作動性シナプスで起きている現象をまとめたものです。前シナプス終末では、グルタミナーゼ(Glutaminase)によりグルタミン(Glutamine)からグルタミン酸が合成され、それはシナプス小胞の中へ運ばれます。この輸送の主役がVGLUT1(下図青の構造)と考えられます。前シナプスニューロンが興奮するとシナプス小胞は細胞膜と癒合・開口して、グルタミン酸をシナプス間隙に放出します。グルタミン酸は次にグルタミン酸受容体(図R)に結合してこの後シナプスニューロンを興奮させます。過剰に放出されたグルタミン酸は近くのアストロサイトが取り込むことで、グルタミン酸の神経伝達作用を終わらせるのと同時にグルタミン酸の神経毒性をなくします。アストロサイトの細胞膜にはGLT-1やGLAST(図中緑の構造)などの細胞膜性グルタミン酸トランスポーターが存在しています。同様のトランスポーター(図、オレンジ色の構造)がどのニューロンにも存在すると思われるのですが、小脳のプルキンエ細胞などの一部のニューロンでしか見つかっていません。
BNPIがVGLUT1であることが判った後 、アメリカのグループは生体内でのVGLUT1機能を小胞性グルタミン酸輸送体として一面 だけで考えようとしています。しかし、私たちはVGLUT1が無機リン酸輸送活性をもつという事実をも重視しなければ真のVGLUT1の生物学的意義は理 解されないという立場で研究しています。グルタミン酸放出時に細胞膜と癒合した際のVGLUT1は、BNPIとしてシナプス間隙から無機リン酸(Pi)を 細胞内へ輸送し、この無機リン酸がグルタミナーゼの活性を高めるのではないかと考えています。

シナプス(第80回つくばブレインサイエンス・セミナー 講演
「無機リン酸輸送体とグルタミン酸作動性ニューロン」より
H13年6月12日)

VGLUT1とVGLUT2 (DNPI) の研究は脳構造の概念を変える

DNPIもその後の研究で2番目の小胞性グルタミン酸トランスポーター(VGLUT2)で あることが判り、2001年の段階でヒトやラットの脳で2種類の小胞性グルタミン酸トランスポーターが機能していることが明らかになりました。このことは ほ乳類の脳のグルタミン酸作動性ニューロンに少なくとも2つのサブグループが存在することを示しています。私たちの研究室では、DNPI発見の当所からこ れらのトランスポーターが脳のどこのどのニューロンに発現しているのかを「形」という生体が私たちに語る貴重なメッセージを考えながら研究してきています。

VGLUT1とVGLUT2は別のグルタミン酸作動性ニューロンに存在 (Sakata-Haga et al, Brain Res 2001)

下の写真は海馬と間脳背側部に存在するVGLUT1とVGLUT2をそれぞれ緑色赤色の蛍光物質で染色し、共焦点レーザー顕微鏡で観察した結果です。海馬歯状回(Dentate gyrus, DG)と視床(Thalamus, Thal)にVGLUT1が、そして外側手綱核(Lateral habenular nucleus, LHa)にVGLUT2が観察できます。このように、脳のほとんどの領域では、VGLUT1とVGLUT2は異なる神経繊維終末に分かれて存在していることが解りました。

ある特定の脳の部位に限ってVGLUT1とVGLUT2は胸発現する (Sakata-Haga et al, Brain Res 2001; Hisano et al, Mol Brain Res 2002)

視床内側手綱核

上の2枚の写真のうち左 のものをもう一度見直してください。よく見ると写真の一部に黄色に染色された個所が目に入るはずです。この部分と赤く見える部位 が外側手綱核です。右側の黄色に見える部分が内側手綱核 (Medial habenular nucleus, MHa)です。黄色に見えるのはVGLUT1とVGLUT2が同じ軸索終末に存在することを示しており、VGLUT1とVGLUT2が共発現する最初の例として初めて発見されました。(Sakata-Haga et al., Brain Res 2001)

小脳皮質

小脳皮質小脳皮質

特定の小脳皮質ではVGLUT1、VGLUT2および両方に免疫陽性の3種類の苔状線維が混在する。 右の写真は片葉と呼ばれる部分を2重免疫染色したも のです.緑(VGLUT1)、赤(VGLUT2)、そして黄色(VGLUT1 + VGLUT2)に染まる3種類の苔状線維がはっきり認められます。写真の下部左中央から右下にかけて緑の帯があり、その中に赤に染まった点状構造が認めら れますが、緑の部分が分子層、点状構造は登上線維と呼ばれるグルタミン酸作動性線維終末を示しています 。(Hisano et al., Mol Brain Res 2002)
VGLUT1とVGLUT2の観察からほ乳類の脳に存在するグルタミン酸作動性ニューロンはこの時点で、下の図に示すように少なくとも3種類に区別 され、特定の脳部位に局在することが明らかになりました。新しい遺伝子やタンパク質を指標に脳の「形」をじっくりと観察することによりこれまでは全く理解されていなかった事実が科学的に明らかにされ、それがもつ生物学的意味を考えることができるようになります。

ニューロンそれでは、なぜ大脳皮質ではVGLUT1とVGLUT2は別 のシナプス終末に存在しているのに、内側手綱核の終末や小脳では同一シナプスに存在しているのでしょうか? その答えの1つは、VGLUT1とVGLUT2のアミノ酸配列が82%同じであるということから考えられるのではないでしょうか。この数字は、見方を変え れば両者が18%は異なっていることを表していて、VGLUT1とVGLUT2の働きに多くの共通 点 はあるものの、生理作用や機能発現調節には明確な相違点のあることを示していると思われます。単純に考えて、この2つのタンパク質が全く同じ働きをするの であれば、脳のほとんど同じ場所に非常に似通 った2種類のタンパク質が存在する必要はなく、1種類で事足りるはずです。まして、内側手綱核や小脳苔状線維で観察されたように同じ軸索終末にこれら2つ が一緒に存在している理由については説明ができません。これらの軸索終末では、VGLUT1とVGLUT2がそれぞれに特有の役割を演じているからこそ同 一終末に一緒に存在しなければならないのだと思います。

VGLUT3の発見

2002年に3番目の小胞性グルタミン酸トランスポーター (VGLUT3)がヒト、ラット、マウスでほとんど同時にクローニングされ、脳における発現部位 が判ってきました。だだ、現時点では発表された結果が研究者の間で必ずしも一致していない状況です。しかし、VGLUT3はVGLUT1やVGLUT2と は異なり、肝臓や腎臓でも発現しており、またセロトニン作動性およびコリン作動性ニューロンに強く発現するという特徴があります。これらの結果 からいくつかの重要なことが考えられます.グルタミン酸が脳以外またはニューロン以外で細胞間情報伝達のシグナルとして働いている。 グルタミン酸はグルタミン酸作動性以外のニューロンからも神経伝達物質として放出される。グルタミン酸作動性ニューロンには小胞性グルタミン酸トランス ポーターの種類によって少なくとも3つのサブグループが存在する。異なる種類の小胞性グルタミン酸トランスポーターが共存することを考えると、もっと多種 類のグルタミン酸作動性ニューロンの存在が考えられる。

VGLUT2遺伝子発現は体内環境で変わる
Kawasaki A et al., Eur J Neurosciに発表

この研究は、平成17年度に大学院人間総合科学研究科を修了した川崎彰子氏[博士(医学)]の成果です。VGLUT2遺伝子は視床下部の室傍核と視索上核 に発現することを上で書きました。この2つの視床下部の領域は神経内分泌学の分野ではずっと以前から多くの研究者が注目してきた所です。なぜなら、ある特 定のニューロンがホルモンを生産して分泌する生命現象が見つかった初めての場所であり、神経内分泌学という学問分野はこの発見がその基礎にあり、現在に 至っています。下垂体後葉から分泌されるホルモンのうちバソプレッシンは腎臓からの水分排泄を調節する抗利尿ホルモンですから、体内の水分量の変化に対応 してその分泌量が変化することが知られています。実験的にバソプレッシン生産を高めた状態の室傍核と視索上核ではバソプレッシン遺伝子発現の増加と同時 に、VGLUT2遺伝子発現も増加することが判りました。この結果と一致して、下垂体後葉のホルモンを分泌する軸索終末の免疫組織化学による観察ではバソ プレッシン反応が著名に低下し、同時にVGLUT2反応も明らかな低下を示すことが判りました。左の写真は、下垂体後葉に存在するVGLUT2を免疫組織 化学で証明した結果です。酵素抗体法(a)では、顆粒状および瀰漫性の反応として認められ、後葉細胞(P)には発現していないようです。蛍光抗体法(b- h)による観察では、普通に水が飲める環境で飼育したラット(b-d)の下垂体後葉に明瞭なVGLUT2陽性反応(赤色の部分)が観察され、SV2(シナ プス小胞マーカー)との2重免疫染色(c)の結果からVGLUT2陽性反応の多くがシナプス小胞に局在することが明らかになりました。

VGLUT2遺伝子が中脳のドーパミンニューロンに発現
Kawano et al., J Comp Neurolに発表

この研究は、近く大学院人間総合科学研究科を修了予定の川野道宏氏の成果です。

今後の研究テーマとして脳発生に関連して次のようなことを考えている




大学院入試情報

8月期の入試は終了しましたが、2月に感性認知脳科学専攻1年次2次募集と3年次編入学試験を行う予定です。但し、1年次の2次募集を行わない分野がありますので、詳細は学務部大学院課入試担当へ紹介してください。

大学院人間総合科学研究科は5年一貫制(博士前期課程2年+博士後期課程3年)の博士課程で、私たちのグループは感性認知脳科学専攻のシステム脳科学分野 に属しています。博士前期課程の受験には資格として修士課程を修了している必要はありません。 つまり、修士課程受験と同様の受験資格です。
修士課程修了者の場合は、2月期の3年次編入学試験に合格すれば博士後期課程に入学できます。

フロンティア医科学専攻(修士課程2年制)にも入学できます。 この専攻では大学既卒の人も社会人特別選抜による受験が可能です。

学部卒業(見込み)者   人間総合科学研究科 感性認知脳科学専攻   博士前期課程(例年8月に実施されます。)
フロンティア医科学専攻 修士課程(例年8月に実施されます。)
修士課程修了者      人間総合科学研究科 感性認知脳科学専攻   博士3年次編入試験(後期課程相当)(例年2月に実施されます。)

● 詳しくは、筑波大学HPより学務部大学院課入試担当へ照会してください。
● 私たちのラボは人間総合科学研究科感性認知脳科学専攻(博士課程)とフロンティ ア医科学専攻(修士課程)の両方から大学院学生の受け入れが可能なため、どちらを受験するか選択することができます。ラボをいつでもオープンにしています ので、受験希望の人が毎年5月から7月にかけて見学に訪れて、私やグループメンバーによる説明を受けています。受験希望の人、ラボ見学をしたい人はメールでお知らせください。

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